大きく分けると、火山島と、陸地をサンゴで囲まれた島(サンゴ礁だけから成る島もある)、そしてその2つが混合した島に分けられる。サンゴ礁と砂地だけの島々は高さがないので、かなり近くなるまでそこに島があるとはわからない。(一番背が高いのはヤシの木だ。)
かつて、海図なしに航海したクック船長はたいしたものだと感心する。
特に火山島を実感するのは、「マルケサス諸島」だ。切り立った山々の間の小さい平地に人々が住んでいる。隣り合った湾から湾へ歩くにも一山超えなくてはいけない。シャワーを浴びているように汗をかいた。拾って食べたマンゴーの味は格別だった。
そこからたった300マイル南のツアモツ諸島はサンゴ礁の島々である。与えられた自然によって人々の生活が変わる。当たり前のように聞こえるが、次から次へと島を訪ねる中でしみじみ実感した。
<信仰>
南太平洋はキリスト教信仰がほぼ100%を占める。サモアなどは特に敬虔で、日曜日の教会にはよっぽどの理由がない限りサボることは許されない。前もって許可を得ておかないと村やコミュニティー単位で責められることになる。しかも午前中3時間ほどミサは続くという。
教会には正装でいくのが習慣だ。クック諸島では、女性はてっぺんに貝を編みこんだ手製の帽子を被る。その帽子が家の軒先に誇らしげに掲げられているのが印象に残っている。南の人々の気質により、最後は太鼓やギターで大合唱となる。私も参加し、気持ちのいい朝の時間をあちこちで過ごさせてもらった。イースター島のミサでは最後に隣りの人と手をつなぎhugを交わした。素敵な習慣だ。
<教育>
初等教育は徹底しているが、それ以上の教育を受ける子供は富裕層に限られている。クルーの一人が「12歳で定年だね。」と笑った。そんな人生もあるんだな、と納得する一方、それで終わっていいのかな?と考えてしまう。その人生しか知らずに生きている彼らには当たり前で、他の生き方を知る必要も知らせる必要もない、とも言える。かつて私が「船に子供達を乗せて旅をするのが夢だ。」と友人に話した時の「無責任に一時の楽しみだけ与えてどうする?」という意見が蘇り、しばし考えた。
南太平洋の島々には既に西洋の文化の波が届いている。そして「もっと知りたい」という憧れがある。バヌアツの若者が、「肉やパンは”Whiteman’s food”(白人の食物)と呼ばれてる。滅多に食べられない貴重な物だ。」と言っていた。フィジーの小さい島の学校でも、イギリスの教育法を採用し英語で授業を行っている。しかし同時に独自の文化を守りたいという意識もある。
それで一体私は何をしたいのか?
今のところ私がたどり着いた答えは、友達になった子供達をこれからもっと知り、彼らの村を知ることで、求められることやできることが見えてくる、というものだ。独立国である島々の将来は子供達が握っている。次の時代を担うリーダーが富裕層の子供だけに限られてしまうのは惜しい。私が出会った中に賢い子供達がたくさんいた。彼らが様々な可能性を知らないまま自分の村に帰って畑仕事で一生が終わるのはもったいないと思う。そして私が彼らから学ぶこともたくさんあるように思う。



